健康コラム COLUMN

【人生は生きづらく温かい 人生は生きづらくて愛おしい 今治大浜一丁目 お好み焼き店の十七年の記録】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年12月15日

早いものですね。コロナに始まりコロナに慣れてきた一年が終わろうとし ています。お変わりありませんか?

さてさて、今回は 文化の日に放送された心に残るドキュメ ンタリー番組のこと をお話ししたいと思います。

 

瀬戸内海の来島海峡大橋のたもと、愛媛県今治市大浜一丁目。

全長わずか二百メートル、車一台がぎりぎり通ることが出来る小さな路地にある一軒のお好み焼き店「昌万(しょうまん)」。

ココを舞台に繰り広げられる懐かしくて温かいご近所さんの十七年の物語です。

 

主人公のミーコちゃん(七十五歳)が経営するお好み焼き店には、いつも常連さんたちがやって来る。

笑い、悩み、ぐちを言い合う、その中でミーコちゃんの大きな笑い声が響く。

その豪 快な笑い声に誘われるように、毎日 ご近所さんが集ま ってくる。

みんな昭和の繁栄の時代を作った人たちばかりである。

その中のひとり、独り暮らしのみっちゃんは

 

「ここはうるさいけどええトコよ。私はココで死にたいね。」と。

 

大阪で成功をおさめたオシャレな味岡のおいさんはこの島に帰ってきて余生を独りで満喫している。

この店に毎日来るのが日課。

 

そしてミーコちゃんの同級生の猫好きのフミちゃんも、ほとんど毎日、猫たちとやって来る。

 

十七年の間にはいろんなドラマが起こる。

 

ある時、味岡のおいさん(当時九十四歳)が二、三日顔を見せない。

心配して家まで様子を見に行くミーコちゃん。

独り暮らしのおいさんは 風邪をこじらせて寝込んでいた。

ミーコちゃんが病院まで連れていき入院させる。

退院の時も迎えに行き家まで連れて帰って来る。リハビリのウォーキングまで付きそう。

 

本当に 「遠くの親 戚より近くの他人」である。

ここには昭和の人情が色濃残っていた。

 

しかしこの入院をきっかけに味岡のおいさんは大阪の娘さん(金持ちらしい)の所に引き取られて行く。

その後、おいさんは百一歳で他界。 みっちゃんは八十三歳で他界。

 

去年の11月、大変なことが起こる。

 

猫好きなフミちゃんのお兄さん(独り暮らし)の家が火事で全焼。お兄さんも亡くなってしまう。

悲しみにくれるフミちゃん。あんなに毎日来ていたミーコちゃんの店に来る気力もなく、家に引きこもる毎日。

フミちゃんのことがとても気にかかるミーコちゃんは、家まで様子を見に行く。

 

 

涙にくれるフミちゃんに「フミちゃん…しんどいね。 つらいね…しんどいけど 前向いて行こうね…」

数日がたち、少し元気になったフミちゃんの姿がミーコちゃんの店にあった。

フミちゃん 「…もう七十五歳まで生きたけんね…」

ミーコちゃん 「何を言いよんよフミちゃん。 私は百歳まで生きるよ!」

フミちゃんは苦笑いしながら 「ミーコちゃんの声を聞いたら死にかけとっても生き返らい」

七十五歳になったミーコちゃんとフミちゃんが並んで歩く後ろ姿をカメラが追う。

 

ナレーター(倍賞千恵子さん)の声が流れる。

「抱えきれない荷物は 一緒に持てばいい。 独りじゃないんだよ」

 

いやー…昭和の、お節介だけど人情味あふれるドキュメンタリーでした。

 

同じ時代を生きて来た私にはこの人たちの人と人との微妙な距離感が理解できる。

 

人は独りじゃ生きていけない、人の情は心のともしびになるんですね。

番組最後に流れた倍賞千恵子さんの「独りじゃないんだよ・・・」の声が心に響きます。

さみしくなったら人の情にすがればいい、抱えきれない荷物なら一緒に持てばいい、 ミーコちゃんみたいに一緒に持てる人になれたらいいなぁ。

 

ヒロシでした

【最悪の立地は私を成長させる という最高の立地だった】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年11月15日

鈴木薬局 も十一月十一日で 四十五周年を迎えました。 昭和五十三年十一月 十一日、私は二十四歳の若者でした。

開店当時、友人やお客さんに「若いのに自分の薬局を開店するんだから鈴木くんはスゴイな〜」と言われました。

でも全くスゴくなんかありません!

 

これを言われる度に何回言い訳したことか・・

だって土地を買って店を建てたのもお金を出したのも全て私の父なんですから。

 

当時、私は尼崎のドラッグストアーの支店で店長をしていました。

昭和五十三年四月、愛媛の父から突然店に電話がかかってきました。

「いい場所が見つかったので薬局を建てるからすぐに帰ってこい」との内容。

その頃、私は大事な支店を任されてまだ間もない頃で社長にも大変期待されていました。

 

まるで寝耳に水!と言う感じでした。

事情を詳しく社長に説明し、理解してもらって退社。

七月に実家に帰って現地に行ってみると、なんともう既に薬局の形がほぼできていました。

そこから七、八、九、十月の四ヶ月間、私は親戚の大工さんたちと一緒に建設に参加。(毎日が楽しかった!)

そして 十一月 十一日 オープン。ここからが鈴木薬局の 始まりで す。

 

ところが・・・ オープンしてから、あまりの立地の悪さに全く売れませんでした。

 

一日の売上げが数千円とか・・・。

 

尼崎で学んできたことは全く役に立ちません。

 

田舎には田舎のやり方があるんでしょうがそんなことは知る由もありませんでした。

売れるのは薬ではなくて洗剤やティッシュなどの雑貨ばかり。

まだ信用がありませんものね。

まるで雑貨屋さんのようでした。

 

今思うに、 小売業(薬局)の知識なんか ほとんどない製造加工業(鉄工所)の親父(私の父)が、 なんとなくの「自分のカン」みたいなもので立地を決めて! まあこんなもんだろうと薬局の図面を描いて建てた! んですから何ともスゴイ行動力と決断力だなぁ・・・と感心してしまいます。 (ある意味シロウトは怖い!)

 

当時の父にしてみたら長男(私)を地元に帰らせるには薬局を建てるのが一番手っ取り早いと思ったんでしょうねきっと!

でもそれができるんだからスゴイです。

私はといえば、 「一日の売り上げ数千円」 という、現実はこんな状況なのに不思議と何の不安も感じませんでした。

逆に何の根 拠もない自信と希望に あふれてい ました。 今から思い 返しても若さって素晴らしいなあと思います。

 

鈴木薬局がオープンした昭和五十三年に二十七件あった四国中央市の薬局は、現在六件になりました。

新しくできるのは調剤薬局と大手ドラッグストアーばかりです。

「小売業のズブのシロウトの親父が選んだ立地はサイアク!」 だと思っていたけれど、

 

今思うに、この立地だったからこそ今ここで鈴木薬局が生き残っていると思います。

 

当時としては最高の立地とされる場所にあった老舗の薬局は、今ではほとんど残っていません。

その立地が良いか悪いかなんて、時代の流れとともに変化するし、それもやり方次第なのかもしれませんもんね。

最悪の立地は実は私を成長させるという最高の立地だったのかもしれません。

 

ヒロシでした

【さすらいのあんこ職人】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP

2022年10月27日

こんにちは!

秋らしい青空になりましたね。

今日は、この台風の中で見たテレビ番組で紹介されていた「さすらいのあんこ職人」小幡さんのことをお話ししたいと思います。

小幡さんは以前から「プロフェッショナル仕事の流儀」や「国宝にんげん」などの番組で取り上げられて話題になっている方のようです。

さてこの小幡さんがなぜ 「さすらいのあんこ職人」と呼ばれるのか?

小幡さんは若い頃、皇室御用達の菓子職人を務めていました。

当時から革新的なあんこの発明で、和菓子業界ではその名を知られた存在だったそうです。

退職した時には、次の日から日本中のいくつもの大手菓子メーカーがスカウトに来たといいます。

そして破格の給料を提示されても全て断り「私は大手を助ける手伝いはしない!

 

それよりも今、経営に苦しんでいる小さな和菓子店を助けたい!」と自ら運転する箱バンで、各地の小さな和菓子店を訪ねるのです。

そして究極のあんこの製法を伝授して、店を再建させては去っていく・・・その姿に誰言うとはなく「さすらいのあんこ職人」と呼ばれるようになりました。

何か西部劇のシェーンを思わせるようなカッコよさです。

カメラは 和歌山県 白浜町の 「福亀堂」に。競合が激しくて売り上げが伸び悩んでいた店です。

 

取引先から小幡さんのウワサを聞いて指導を依頼したところ「あんこの味がバラバラで美味しくない!」との小幡さんの評。

実はあんこ屋からあんこだけを仕入れて和菓子を作っていたのでした。

これを機 に小幡さんの指導のもと、自社であんこを作ることに。

今では販売を全国に展開し業績を伸ばしているそうです。

 

次にカメラが入ったのは豊岡市の湖月堂。

伝統的なあんこの作り方では、長時間かけて作るせいで「味と風味が飛んでいる」と指摘。

そして小幡流のあんこ作りを伝授します。 今までの伝統的な作り方とは全く違う作り方です!

 

極意その1

炊く前に小豆にたっぷりの沸騰した熱湯を注ぐこと。これによってアクが出ず、長時間煮る必要がなくなるので小豆本来の風味が損なわれなくなるそうです。

 

極意その2

小豆の雑味を取るために「へそ」という小豆にある芽がでる部分を取ること。お湯から沸騰させないように煮ることで自然にへそが外れるのです。

 

極意その3 砂糖は最後に混ぜること。炊き上がった小豆の余熱で混ぜ合わせるだけで、焦げずに風味が損なわれないといいます。

この番組で紹介していたのはこれだけですが、本当はもっと深い細かな技があるに違いありません。

 

小幡流のあんこの作り方だと 一時間足らずで極上あんこができあがります。

小幡さんの指導によって何度も目からウロコが落ち、すっかり生まれ変わった数々のお店の中には、「日本最古のあんこ屋」と言われるほど歴史のあるあんこ屋もあるそうです。

和歌山のきたかわ商店がそのお店です。別の番組で小幡さんのことをこう言っていました。

 

「小幡先生の指導がなんで好きかというと科学的な根拠がちゃんとあるからなんですね。先生は毎回言うことが違うと言う人もいますけど、それは常に進化して いるんだと思います。伝統を疑い、常識に縛られず、常に改善を目指して、独自で研究工夫している姿は、職人というよりもあんこの研究者という感じがしました。  「科学は進化する。あんこも進化する。今まで常識だったことが数年後には非常識になっている」

 

小幡さんの言葉が心に刺さります。

頭を柔らかくして常に常識に縛られず、鈴木薬局も進化していきたいと思います。

 

どら焼きと渋いお茶を 飲みたくなったヒロシでした