【「運」に助けられた両親と私】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 風邪 感染症 ストレス 自律神経 敬老
2023年10月5日
明け方の涼しさが心地よい時期になりましたね。
夏の疲れが吹き出る頃ですが皆様おかわりございませんか?
我が家の孫たちは 次々に熱を出して います。(夏カゼ) でも翌日には回復 して遊びに大忙しのようです。子供は回復力が強い!
私事で恐縮ですが、私の両親(共に九十三歳)もついに今年の四月にサービス付き高齢者住宅に揃って入居しました。
それもなんと夫婦部屋!それぞれは個室なんですが中でドア一枚で繋がっています。
両親はいつもそのドアを開けっ放しにしていて、老夫婦仲良く過ごしているようです。
それまでは、私の薬局から徒歩二〇分、車なら五分の生家で、九十二歳まで二人で暮らしていました。
それが、 母の持病 の腰痛が 急速に悪化、 身動きが取 れなくなってしまいました。
しばらく私と妹と妻の三人でいろいろ 手助けをしていたのですが、限界が来ました。
両親を含め皆で話し合い、急遽、施設を探すことに。
ところがなかなか希望の所が空いていません。
諦めかけていた時、妻の友人が「夫婦部屋が空くみたいよ」との話を持って来てくれました。
友人のお母様の入っている所でした。 友人にいろいろ教えてもらい、その日のうちに訪問して見学、条件にぴったりな所だったので契約完了。
後で知ったのですが、夫婦部屋はどの施設でも数がとても少ないので、タイミングが合わなければまずは入れないそうなのです。
まさに「運」に恵まれました。
父と母は病気のことでも強運の持ち主でした共に八十七歳の時、母に新たに病気が見つかりました。
年齢やそれまでの病気のこともあり、手術するかどうか大学病院や他の大きな病院でセカンドオピニオンをとったりして悩んだのですが、結局は手術せずに特殊な治療法にて治療し成功。
今も元気に過ごしています。
父も全く同時期(しかも母の入院の付き添いで私たちは兵庫県にいた日!)に、心筋梗塞を発症。数週間後、十時間の心臓のバイパス手術を受けました。
高齢にも関わらず、全身麻酔の影響もなく元気に復活して今も元気に歩いています。
この老夫婦、仲がいいのか何なのか、ナント同時に発症。ひとりは新居浜の病院、ひとりは兵庫県の病院に入院という状況になりました。
私たちは仕事をしながらも、文字通り西へ東へと、とても大変でした。
あの頃を振り返ってみると「ほんまによくやったなあ」 と自分と妻を褒めてやりたくなります。
私の陳旧性心筋梗塞 (急性期を過ぎた心筋梗塞。痛みがなく知らないうちに心筋梗塞になっていた場合もある)の場合も全く同じです。
健が「親父、今まで全然検診して来なかったのだから、この無料健診券で一度くらい行って来たら!」 と強く強く勧めてくれなかったら、病気を見逃していました。
ほんのちょっとした決断!あの時、素直に行ったから、今があります。
まさに「運」に恵まれたのでしょうね!
宝くじに当たるとか、競輪、競馬などで大穴当てるなんてそんな運ではなく、皆様にも良い運気が訪れますように!
子供の頃から くじ運の全くない ヒロシでした。
【ALWAYS三丁目の夕日】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 映画 昭和 レトロ
2023年9月1日
暑い日が続いておりますが皆様お変わりありませんか?
鈴木薬局にはいろ んなメーカーさん が来られますが、 この頃は値上げの 話ばかりです。 (気が滅入ります)
バブルが弾けて 以降、三〇年もず っとデフレ経済の 中にいた日本もついに今インフレ経済に変化しつつあります。(現在進行形)
健にインフレの話をすると全然ピンと来ていません。
物心ついてからの三〇年間、ずっとデフレの中で生活していたのですから実感が湧かないのも無理はありません。
さてさて、こんな話はさておいて・・・
今、昭和レトロが密かに再注目されているのをご存知ですか?
車、家電、レコード、プレーヤー、おもちゃ、アニメ、映画、喫茶店、食べ物(スイーツ)、お菓子、などなどあげればきりがありません。
昭和の時代のものはエネルギーにあふれているような気がします。
そして個性的です。
若者はそのエネルギーに魅せられるのかもしれません。
そんな古き良き昭和の時代を上手に表現した映画があります。
今回は、その映画を少しご紹介したいと思います。 「ALWAYS 三丁目の夕日」 (これは西岸良平の漫画が原作です)
昭和の希望に満ちた時代を知りたければこの映画を観なさいと言わ れるくらい良くできた作品です。
昭和三十年代の東京下町の庶民の日常生活を描いていて、映画に出てくるもの全てが、当時の実物を使用しているそうです。
それを見るだけでも懐かしさが込み上げて来ます。
お話は鈴木オートという小さな自動車修理工場の家族を中心に、当時の下町の人間模様を描いた他愛のないストーリーです。
それが私の子供の頃とダブって見えてなんとも心にジーンとくるのです。
初めてこの映画を観に行った時、周りを見回して思わずにんまりしてしまいました。
だって映画館の観客は昔の子供達ばかりなんですから。ポップコーン片手にコカコーラを飲んでいます。
そして、みんな感じることは同じなのか時折、大笑いしたり鼻水をすする音がしたりして・・・。
あの頃(私が小学一年生)、我が鈴木家には初めて白黒テレビが家に来ました。
夜になると近所の人たちや友人がお菓子を持ってテレビを観に来ました。
この映画の中の人たちのように、昭和三十年代の近所付き合いは、まるで家族のようで人と人との距離感はとても近かったと思います。
「煩わしいけど独りじゃない」
「みんな平等に貧しかったけど心は今よりも豊かだった」
最近、年齢を重ねるにつれて思うことがあります。
「物があふれ物質的に豊かになること、便利になることが、本当に幸せなことなのだろうか?」と。
私が小学一年生の頃、近所の川で遊んでいてガラス瓶を踏みつけて足の裏をザックリと切ってしまったことがあります。
出血に恐ろしくなり大泣きしていたら、たまたま通りかかった見知らぬ若いお姉さんが、ハンカチを出して応急手当てをしてくれて、おんぶして家まで連れて帰ってくれました。
あの頃はみんな親切で人と人が信頼感のようなもので繋がれていたように思います。
こんな出来事が映画の中にはたくさん出て来て、ほんわかと「人っていいなあ・・・」と優しい気持ちになれる素敵な映画です。
心が疲れ、何か寒々しいことに出会った時には一度、観てみてください。
じんわりと心の芯から温まって来ますよ。
昭和レトロなヒロシでした。
【雑草という草はない】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP
2023年7月15日
これは、日本の植物分類学の父と呼ばれる牧野富太郎博士の言葉です。
今、NHKの朝ドラ「らんまん」を放送 していますが、こ のドラマの主人公 槙野万太郎は、牧 野富太郎博士がモデルです。
高知に生まれ育った万太郎は、植物の研究に夢中になり、その研究を深めるために上京して東京大学の植物研究室に出入りするようになります。
小学校中退なのに東京大学出身の研究者たちにも引けを取らない学識と英語力、画力の能力で日本の植物研究の道を切り開いていくというお話です。
私が牧野富太郎博士を知ったのは、小学六年生の修学旅行で高知の牧野植物園に行ったことがある・・・とただそれくらいのことでした。
当時、野山を遊び場として駆け回っていた私にとっては植物なんて何の興味もありませんでした。
だからこの植物園の中を見学した記憶が全くありません(汗)
同じ日に見学したであろう龍河洞の記憶は鮮明に残っていますが・・・
当時はまさか将来自分が、東洋医学それも 『本草綱目(薬用植物の古典)』の世界に行こうとは夢にも思いませんでした。
「らんまん」の中で万太郎青年が折につけて、この一節を話します。
「雑草という草はない」
「どの草花にも必ず名前があり、そこで生きる理由がある。この世に咲く意味がある。」
これを聞く人は皆、雑草を人間に置き換えて考えることでしょう。
万太郎青年は日本の植物を調査研究する中、いろんな人たちに出会います。
みんなそれぞれに大きな悩みを抱え苦悩に満ちて毎日を生きている。
自信を失い、投げやりになったり道を踏み外したりする人もいます。
万太郎はそんな人たちに寄り添いこの「雑草という草はない」という精神を説き、救います。
決して押し付けがましくなく説教じみてはいません。
彼は幼少期から病弱であり弱い自分をよく知っているからこそ、日陰に咲く花にも気づくことができたのだと思います。
この主人公を 演じている 神木龍之介が実にいい雰囲気を出しています。
私が毎日このドラマを見る理由は、たとえドラマとはいえ大好きなことに出会った人間を毎日見ていると、私まで楽しくて幸せな気持ちになるからです。
「今日も一日、自分なりに元気いっぱい生きていこう」と気力が湧いてくるからかもしれません。
当時の牧野富太郎博士の写真を見ると、本当に楽しそうに笑っています。
その笑顔は、大好きなおもちゃで遊んでいる時の子供の、あの天真爛漫な笑顔に見えるのです。
彼は大好きなことに出会いそれを職業とし、九十四歳で亡くなる直前までそのことに没頭しました。
人として生まれ、こんな幸せな人生はないですよね!
さて、今朝も観るとするか!「らんまん」。
ちなみに牧野博士は千五百種類もの無名の植物に名をつけたそうです。
「雑草という草はない。 名前がないのなら私が名付けれたらいい!」
牧野富太郎博士の声が聞こえてきそうです。
ヒロシでした