【じいちゃんの魔法の言葉①】
2019年5月13日
こんにちは!ヒロシです。
くすり屋を40年もやっていますと、いろいろな人達との出会いがあります。
その中でも忘れることの出来ない人たちがいます。
その人達との出会いが今の鈴木薬局を形作ったと思っています。
今回は私の祖父の紹介をさせていただきたいと思います。
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私に孫(只今4人)が出来てから、よく祖父のことを思い出します。
小さい頃はあまり笑わない怖いおじいちゃんというイメージでした。
そんな祖父が私の大学受験に付き添って大阪まで連れて行ってくれることになりました。
祖父は若い頃、パン屋の職人として大阪の町を駆け回っていたため、ややこしい大阪の地理をよく知っているという理由からでした。
その後私は、大阪の大学に行くことになり、入学式から生活道具の買い出しまで全て祖父と一緒でした。
思春期で無口な年頃の私と、明治生まれの無口な祖父。今から思い出してもおかしな二人です。
ところが、この出来事があってから、私は祖父のことが大好きになり、帰郷の度に祖父の家に入り浸るようになりました。
大学生活も2年生、3年生となっていきますと、生活は慣れてくるのですが勉強はとても専門的になり、
とにかくワケのわからない専門用語や薬品名を覚え、理解しなければならなくなります。
「今期は単位取れただろうか?この単位落とすと留年するかもしれんなぁ・・・両親に負担かけるなぁ」
と留年の心配ばかりしていました。
「親には言えんしなぁ」と祖父に悩みを打ち明けた時、祖父はこんなことを言いました。
『ミミズが土食うたら何食おか?みたいなことを考えるな!』とポツリと一言。
「???」
「え?何のこと??」
私は何のことやら全然わかりません。
「じいちゃん何のことよそれ!」と思わず尋ねると・・・
つづく
【「人間ってカッコ悪くてもいいんだよ! 人間らしくていいんだ②」 不安定な青春時代にその事を教えてくれた俳優がいました。】
2019年4月29日
こんにちは!ヒロシです。
くすり屋を40年もやっていますと、いろいろな人達との出会いがあります。
その中でも忘れることの出来ない人たちがいます。
その人達との出会いが今の鈴木薬局を形作ったと思っています。
今回は私の人生に大きく影響を与えた「映画」の世界をお伝えしたいと思います。
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映画「約束」で円熟期の大女優・岸恵子の相手役として抜擢された萩原健一。
この映画の後で彼はあの石原裕次郎の目に止まります。
そして有名な「太陽にほえろ」に新人刑事(マカロニ)役として大抜擢されます。
昭和47年のことです。
(「太陽にほえろ」は昭和61年、全718話まで続く)
ショーケンを前面に出して始まった「太陽にほえろ」は記録的な高視聴率を叩き出していきます。
このマカロニ刑事は、今までの刑事ドラマのイメージとはかけ離れていました。
正義の味方で強い!
と言うよりも、逆に犯人側に感情移入してしまう弱い刑事という役でした。
長髪でノーネクタイ。流行りのスーツを着こなして、とにかくよく走る。
でも気が弱くて、人間臭くて腕力もなく、腰が引けちゃってるかっこ良くは無い。
それがマカロニ刑事でした。
昭和47年、私が高校3年の時の作品「そして愛は終わった」という話の中で、旧友・沢田研二(ジュリー当時24才)が犯人役で共演しています。
このドラマの最後にショーケンがジュリーを射殺してしまうシーンがあるのですが、
撃った後のショーケンの演技がスゴカッタ!!
「ごめんなさい。ごめんなさい。おれ刑事なんかやめた!撃っちゃった。撃っちゃったよ。ごめんなさい。ごめんなさい。」
まるで子供のように犯人の前で泣き叫ぶんです。
かっこ悪い!
『人を殺すってこんなになるんだ。』
その時、思春期真っ只中だった私にはとてもキョーレツな場面でした。
実はこれって一切台本には書かれていませんでした。(脚本家談)
全てがショーケンのアドリブだったそうです。
そして「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」と彼の主演したドラマは次々に大ヒットしていきました。
相変わらず彼の演じる役はどれも弱くてかっこ悪くてピーピー泣く弱い人間ばかりでした。
でも、当時の私にとってはそのカッコ悪さがたまらなくカッコ良くてファッション的にもよく彼の真似をしていました。
青春ど真ん中だった私にとって
「人間ってかっこ悪くてもいいんだよ。人間らしくていいんだ。」
ドラマの中のショーケンがそう教えてくれました。
今から思えば、一人暮らしで心細い青年期の不安定な私にとってショーケンのドラマは大きな心の支えになっていたのかもしれません。
一世を風靡した彼も、その後いろんな事件を起こし、なんども逮捕されマスコミを賑わします。
マスコミはショーケンに「ワガママで弱いやつ。めんどくさいやつ」というイメージを植え付けました。
彼は本当に弱いやつだったのでしょうか?
弱さをさらけ出す人ほど真はものすごく強くて優しい人なんじゃ無いかと思っています。
平成23年から8年間。
妻のリカさんに支えられながら最後まで頑張りました。
最後に人間の本当の強さを教えられたようと気がします。
心よりご冥福をお祈りいたします。
【「人間ってカッコ悪くてもいいんだよ! 人間らしくていいんだ①」 不安定な青春時代にその事を教えてくれた俳優がいました。】
2019年4月22日
こんにちは!ヒロシです。
くすり屋を40年もやっていますと、いろいろな人達との出会いがあります。
その中でも忘れることの出来ない人たちがいます。
その人達との出会いが今の鈴木薬局を形作ったと思っています。
今回は私の人生に大きく影響を与えた「映画」の世界をお伝えしたいと思います。
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息子に「萩原健一って知っとるか?」と聞くと、
「全然知らんなぁ誰それ?」という返事が返ってきました。
ひと世代変わればこんなものでしょうね。
萩原健一(ショーケン)を知っている方達は、
私と同世代かよほどマニアックな若者でしょう。きっと。
そんな彼が今年の3月26日に「消化管間質性腫瘍」という珍しい病気で天に召されました。68歳でした。
平成23年頃から闘病して8年間も普通にバラエティー番組やドラマにも多数出演していました。
自分の病気や闘病記をブログなどで公表するタレントが多い中で、彼は最後まで病気を隠し続け最後近くまで元気な姿を見せてくれました。
「最後まで一生懸命、萩原健一を演じ切ったんだなぁ・・・」
「人間の弱さを教えてくれた彼は最後に人間の本当の強さを教えてくれたのかもしれない・・・」
私の心にいろんな想いが湧き上がってきました。
年齢が近いと言う事。
私の青春時代が彼が一番輝いていた頃と重なった事。
当時彼のドラマをよく見ました。
その頃の出来事が思い出されます。
映画好きの私が俳優としてショーケンを大好きになったのは昭和47年「約束」という映画を観てからでした。
当時、彼は円熟期の大女優・岸恵子の相手役として抜擢された新人でした。
ところが大女優を前に一歩もひるむ事なく新人らしい初々しさと自然体の演技で岸恵子を圧倒していました。
とても地味で暗い映画の中で、彼の演技だけが輝いて見えたのを覚えています。
この作品にはちょっとした裏話がありまして、
実は当時彼はグループ・サウンズを卒業して映画監督を目指していました。
そしてこの「約束」に助監督として参加していました。
運命とは皮肉なものですね。
岸恵子の相手役の俳優が突然降板してしまったのです。
そこで急遽、その代役に抜擢されたのが助監督のショーケンでした。
そんなわけですから全くのど素人の彼に誰も期待をしていませんでした。
ところが、作品で本人さえも知らなかった俳優としての才能が開花することになります。
俳優って本人の本質と役がとても似ている役に偶然巡り会うことがあります。
私はショーケンは一番最初にその役に巡り合ったのではないかと思います。
つづく・・・