【言葉の力と薬の力】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP
2021年1月15日
先日、サイコパスの記事を書きましたけど、その中で私がHSP気質(人一倍繊細な気質のこと)ですという所に反応したお客さんたちがいました。
「嘘じゃ~そんな風には見えんけどなぁ…意外!」と大ウケでした。(笑)
いったい私って皆さんにどう見られているのでしょう?
改めて言うのも変ですが…私たち薬屋の仕事って表面だけ見ると
「話をちょこっと聞いて薬を出してお金をもらって、本当に楽な仕事よね」
と見えると思います。私の弟(病院勤務)に言わせれば楽な仕事ナンバーワンのように言います(大笑)
単純に見ればこの通りなのですが、現実は違うんです。
「話をちょこっと聞いて…」なんかじゃないんですよ。
実は、月に一回、税理士の方(女性)が帳簿を調べに半日、店の奥に居るのですがその方が
「薬屋さんって大変なお仕事なんですね。一時間以上、お客さんの苦痛や悩みを黙って聴くって…私、先生とお客さんとのお話を聞くつもりはないのですが、自然と耳に入って来るので。
値うち、ありますね。私にはとてもできません。」
と話していました。
改めて言われるとなんとなく恥ずかしいものですね。
私たちがいつも心がけている事があります。
とにかく黙ってお客様の話を聴く事。
そしてその方は本当は、何に悩んでいるのか、心の底では何を不安に思っているのかを話の中から探り出します。
そしてその解決策をお話します。
私たちの手に余る病気の場合には病院をオススメすることも多々あります。
先日もこんな方がご紹介でいらっしゃいました。
四〇歳くらいの細身の女性(OL)です。
八月中頃に突然めまいと吐き気で朝、起き上がれず少落ち着いた頃を見計らって耳鼻科を受診。
「メニエルでしょう」との診断で薬をもらって帰宅。
二、三日寝込んでいたのですが何とか症状がおさまり仕事に復帰するも一週間後に再び悪化。
それで「脳に異常があるかもしれない」と不安になり脳神経外科を受診。
精密検査をするが異常なく薬をもらって帰宅。
きちんと薬を飲んで、めまいと吐き気はおさまり仕事復帰できている。
でも感覚的には不調で不安。めまいと吐き気はおさまっているが、正確な診断名はつかないまま三ヶ月以上経過。
ドクターは納得いく説明をしてくれない。
「漢方薬なら…」と思い、相談に来たとのことでした。
一時間くらいずっとお話を聞いた後、私はこう言いました。
「もう、峠は超えましたね。よかった!きっとよくなりますよ!」と。
すると緊張が緩んだのでしょう。
彼女の目からポロポロと涙がこぼれ落ちました。
その後、少しお話をし、
「十日分だけ良く効く漢方薬をお出ししておきますね。これを飲み終わる頃にはずいぶんと楽になりますよ。大丈夫!きっとよくなりますから。」
あれから八日後、
見慣れない美しい女性がニコニコ笑顔で店に入って来ました。
「先日は大変お世話になりました。すごく良く効いてウソのように不快感がなくなりました。もう少しだけ続けてみようと思って来ました」
見違えるように変身した彼女を見て、女性って元気になると本来の美しさに戻るんだと教えられました。
そして、彼女が帰り際にこんなことを言ってくれました。
「鈴木さんが『もう峠を越えましたね。大丈夫!きっと良くなるから』と言ってくれてから、何か今まで不安で不安でたまらなかったのがスーッと楽になりました。とても嬉しかったです」と。
明日、友人たちと一緒に旅行に行くそうです。
帰って行く後ろ姿は嬉しさにあふれていました。
【サイコパスって何?】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP サイコパス
2020年12月16日
先月、私たちはいくつかの勉強会に参加してきました。
先日の倉敷での勉強会では、気心の知れた薬局の先生たちと久しぶりに夜遅くまで語り合ってきました。今日はその時のお話です。
いろんな話をしている中で「サイコパス」という言葉が会話の中に出てきたのです。
私「サイコパスって言葉の正しい意味知ってますか?」
A先生「映画やテレビに出てくる殺人鬼のことですかね?猟奇的な感じの。」
B先生「私もそう思います。あの有名な映画「サイコ」の主人公みたいな人物ですよね?」
C先生「あの京アニ放火事件の犯人もそうじゃない?」
私「それがね、この質問をするとほとんどの人は「平気で人を殺す殺人鬼みたいな人」だと答えるんです。私もそう思っていました。
ところが最近、脳科学者の中野信子氏の『サイコパス』という本を読んでこの考えが大きく間違っていることに気がついたんですよ。
サイコパスって、気質のひとつなんです。この気質の人は、日本人では 百人にひとりの割合でいるそうです。
そしてその中の二割の人だけがなんらかの犯罪を犯すそうで、八割の人は普通の人なんですって。それも優秀な人が多いそうです。
中野氏によればサイコパスを一言で言うと
「他人の痛みがわからない人で、平気で人の不幸の上に自分の幸福を築こうとする人」
なんだそうです。
ところが仕事の面から見ると彼らはとても優秀な人達なんです。
例えば、プレゼンをやらせると一瞬のうちに会場の人々の気持ちを鷲掴みにするような才能を持っています。
ある意味、とてつもなく魅力的な人物でもあるのです。会社のCEOの中にサイコパスが多いと言われています。
容赦なく何万人もの社員の首を切った日産自動車の前CEOのカルロス・ゴーン氏もそうかもしれません。
それと優秀な外科医にも多いんですって。
大きな難しい手術になると手術中には不測の事態が起きることがあり、そんな時でも瞬時に冷静で的確な判断を下さなければなりません。サイコパスの独壇場ですね。
昔の映画の「白い巨塔」のなかの天才外科医の財前五郎なんかは代表的なサイコパスでしょうね。手術の腕は超一流だけれども人間としては…
自分の出世のことしか頭になくて、いろんな人達を踏み台にして教授の椅子まで駆け上がっていきます。
まさにサイコパス。
他人の痛みがわからない男。
B先生「じゃあ「私、失敗しないので」で有名なドクターX・外科医大門未知子(主演・米倉涼子)なんかもそう?」
私「そう、そう!」
A先生「頼りになるとは思いますが友達にはなりたくないキャラクターですね。むしろ逆に、近づきたくないもないくらい!」
私「A先生はHSP気質(ひといちばい繊細な気質・お元気さんつうしん九月号参照してください)だと思います。
だからサイコパスとは真逆な気質で、本能的にサイコパスを見抜ける人なんです。
なので近づきたくない気持ちが強いと思いますよ。
でも、普通の人にとってはサイコパスはとても魅力的ですから引き寄せられるんです。
ところが長く付き合うと「あれっ?ちょと違うなあ」…と。
本来の「他人の痛みをわからない人」だということがわかってくるんです。それに気づいた人は、その人から離れていきます。
ところがわかっていても離れられない人達もいるそうです。
天才的詐欺師にはサイコパスがとても多くて、よく何百億円も騙し取って逮捕されたというニュースがあるでしょう?
事件後に被害者の方達にインタビューすると
「騙されているかもしれないとわかっていてもお金を出してしまった」と答えています。
それがサイコパスの能力の一つなんですって。
それを早くから見抜けるのが HSP気質の人たちです。
だから彼らには最初から近づかないんです。
中野信子先生によれば、サイコパスから身を守る唯一の方法とは【近づかないこと】だと言っています。
だからA先生は大丈夫ですね。」
こんな話で盛り上がりながら倉敷の夜はふけていきました。
サイコパスを見抜くヒロシでした
【子供の楽園「マーケット」】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 ストレス 自律神経 HSP
2020年11月16日
こんにちは。夜はすっかり冷え込んできましたね。
皆さまおかわりございませんか?我が家は先日 コタツを出して皆でほっこりとした時を過ごしています。
私ごとで恐縮ですが いつもの事ではありますが(笑)、私が子供の頃に育った、じいちゃんばあちゃんが 住んでいた鈴木商店があった家(通称「マーケット」・・・六軒の商店がはいった木造二階建て店舗付き集合住宅)が、取り壊されました。
以前、このコーナーに書いた私のじいちゃん「重吉」が住み、お菓子屋をしていた鈴木商店です。
子供の頃の思い出のいっぱい詰まったマーケットでした。
私が物心ついた頃のマーケットには、お菓子屋・時計屋・うどん屋・駄菓子屋の四軒がありました。
マーケットの前には、広いバス駅があり、一日に何十台ものバスが行き来していて、上分町の中心でした。 昭和の活気に溢れた時代でした。
私は保育所から帰ってくると、隣の横内時計店に遊びに行きます。
「やっちゃん、ぼー、あそぼー」
「ひろっちゃん、あがりなー」
から始まって、 恵ちゃん(5歳)やっちゃん(4歳)ぼー(3歳)とまるで兄弟のように遊んでいました。
時計屋の二階は子供たちの楽園です。 押入れから布団を引っ張り出してその上に飛び降りたり、将棋やゲームをしたり。一番楽しみだったのは、その頃まだまだ珍しかったテレビでした。
大人が帰ってくる夕方までテレビは子供たち のものでした。
ナショナルキッド
七色仮面
鉄腕アトム ・・・
お腹が空くと、十円玉を握りしめて隣の駄菓子屋に行き、くじを引いたり駄菓子を買ったりして、マーケット全体が子供たちの遊び場でした。
みんな貧しかったけれど、みんな平等に幸せでした。
大人たちは商売に大忙しで子供に構っている暇はありません。何をして遊んでいても大人に叱られたことが一度もありません。
ですから近所の子供たちも時計屋の二階に集まってきて、多い時には十人近くになっていました。
喉が乾けばマーケットの共同洗い場にある井戸へ行って、冷たい井戸水をたらふく飲んで、また汗びっしょりになって遊ぶ。
一日がとっても長くて、最高に楽しかった!
しかし年月が流れ、マーケットの住人は皆年老いてとうとう誰もいなくなりました。
空き家になった元マーケットは年月が経つごとに朽ちて行きました。
じいちゃんからこの家を引き継いだ父も高齢になり、最近は私が管理をしていました。
戦後に建てた七十年もたった家ですから、台風のたびにとても心配でした。
そしてあることをきっかけにこの家(元マーケット全体)を取り壊すことになったのです。
長屋形式で建っているこの元マーケットは、持ち主(相続人)が父を含め四人もいるわけで、しかも皆高齢です。
その人たちをとりまとめなければなりません。結局、父の代わりに私がその取りまとめ役をすることになりました。
七十年前、私のじいちゃんがみんなの取りまとめ役をして建てたマーケットを、孫の私がみんなの取りまとめ役をして壊すことになるとは・・・。
何かの縁を感じます。
今ではすっかり更地になりました。
子供の頃、あれほど広いと思っていたマーケットがこんなにも狭い場所だったのかと、跡地の横を通るたび、懐かしく子供の頃を思い出します。
一緒に遊んだ幼なじみの顔の記憶は、年々ぼやけてきていますが、その子たちと一緒に遊んだマーケットの様子は細部までくっきりと目に浮かびます。
最近、一日の短さに 驚いているヒロシでした