【コロナのせいでテレビがつまらなくなった?】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP
2022年2月16日
こんにちは。
お寒いですね。
今年に入ってからもずっと家の中で過ごしている私たち夫婦です。
さてさて… 新型コロナ騒動が起こってはや二年になりますね。
私たち昭和生まれの人間は、情報をテレビと新聞で収集するクセがついています。 (若者は情報をネットから集めています)
私達はこの二年間、旅行にも行かず、休日も家でテレビを見て過ごす日々を送っていました。
今日もオミクロン株の 事について 専門家の先生たちのテレビを見ています。
平和な日常では感染症の専門家の人たちをテレビで見ることはまずありませんでした。
ところがこの二年間、この人達を見ない日がないほど、毎日テレビに出ています。
元々が医学界の中では日陰の存在だった人達に突然スポットライトが当たりました。
裏方の人間が主役に抜擢されたかのように。
最初は野暮ったかった人達がだんだんと垢抜けていく、たどたどしい話し方も上手 になっていく。
テレビに慣れていくんですね。
テレビってすごいなーと思いました。
感染者が増えるほど、この人達が生き生きして見える(私の偏見)。
テレビ業界 ではコロナ の話題にな ると視聴率 が上がる。
有名な芸能 人とは一桁 違う安いギャラで視聴率が上がるわけですから、各テレビ局がこぞって感染症の専門家を起用して番組を制作するのも当然です。
陽性者数、感染者数、入院患者数、重症患者数、死亡者数が上がれば上がるほど、 視聴率も上がりました。
私もその一人なのですが、朝起きるとまず、テレビのスイッチを入れて、コロナ関連のニュースを探すことから始めます。
「正しく怖がらなくては…」といつも自分に言い聞かせながら視聴しているのですが、元々が怖がりですからついつい必要以上に用心深く行動してしまいます。
私のこの二年間を振り返ってみますと
①大好きな映画館に行かなくなった
②季節ごとに新しい服を買いに行っていたが全く買っていない(妻はネットで買っているもよう)
③二年間、電車、バス、タクシー に乗っていない
④隣の市に行くこともほどんどなくほぼ四国中央市内に居る
⑤お金を使う場面がないので小遣いがたまる。何も使うことがないので…トホホ…
私だけ見ると経済が回ってないですよね!日本経済にとっては恐ろしいほどの超省エネ生活。
ところでテレビ業界ではコマーシャル収入が激減しているそうです。
皮肉な話ですが… テレビでコロナ騒動を煽るような放送をすればするほど視聴率が上がります。
するとテレビを観た多くの人達が怖がって外出しなくなることが増え、物を買う場面が減ります。
それで各メーカーの売り上げが 下がります。
すると各メーカーは広告宣伝費を削ります。
テレビのコマーシャル収入が下がるんですね。
それで番組制作費も下げなければならなくなる。 高いギャラの有名芸能人から、安いギャラの新人芸能人にシフトされる。
今、高額なギャラの有 名芸能人が テレビ番組 から消え始 めているそうです。 そして簡単に安く制作できるような番組が増えています。
道理で、最近のテレビはちっとも面白くなくなりました。
昨年末に、健から教えてもらったネットフリックス(有料)に加入しました。
まるで面白いおもちゃを買い与えられた子供のように、ネットフリックスの番組にはまっています。
それは、今から 六十年前に初めて家にテレビが やってきた時の ワクワクさ、面白さを思い出させてくれます。
ネットフリックスオリジナルのドラマ、映画の質の良さには驚くばかりです。良い作品は、お金を払って観るもの。
これからのテレビの世界はこれが普通になるのでしょうね。
健夫婦がテレビを観ない理由がわかりました。
最近、新しいおもちゃを 手に入れたヒロシでした。
中学時代の「しゅくちゃん」の 話を「じゅんにい」に 聞いて来ました。
2022年1月17日
自宅で着替えをしていた時、テレビから 「真鍋淑郎氏が今年のノーベル物理学賞に決まりました。
米プリンストン大学 上席研究員です」と いう声が聞こえて来ました。
続いて 「愛媛県出身の九〇歳です」という声。 思わず手を止めて、 テレビ画面を見ました。
そして 「四国中央市新宮町出身」の声にテレビを二度見。 「三島中学(現・三島高校)出身です」の声で、三度見! どんどん、真鍋氏が身近に感じられて来ました。
「九〇歳で三島中学出身」 それなら、この方、親父と同級生に違いない! さっそく、実家に出かけて行きました。
「おとう!あのノーベル賞もらった真鍋さんって、ひょっとしてお父と同級生 と違う?」
「おう、そうよ!同じクラスになったこともあるよ」
私は「やっぱり!」 世界のノーベル賞受賞者と同級生だった人が目の前におる!
それも父だとは!
さっそくインタビューすることにしました。(笑)
私 「スゴイよなー!これって自慢できるで!」
父 「アホ言うな!そんなことで人に自慢できるか!ただ 一緒に勉強しただけでワシは何もしてない。同じ時代を生きただけじゃ。」
私 「ほんでもノーベル賞受賞者と同じ教室で授業を受けてた人なんて、日本でもそん なにおらんで!それも、今九〇歳で頭もハッキリして身体も元気でおる人は、そうそうはおらん!それだけで自慢よ」
父「そうかのう」
私「ところで真鍋さんってどんな人だったん?東大に行けるくらいの人やから天才的に頭、よかったんだろうなあ…」
父「まあ、みんなそう思うわなあ。ところが中学時代はあんまり目立たんかったんよ。
頭の良かった奴は他にもいっぱいおったしなあ。とにかく、特別目立つ存在ではなかった。
ワシの記憶では休み時間でも机に向かって勉強しよるイメージだったのう。
ワシは中学時代は陸上に明け暮れて駅伝の練習ばかりしよった。勉強はあんまり興味なかったんで、余計に真鍋くんとは接点がなかったのう。
それでも、何となく気が合うてな、真鍋くんは一歳年上のワシ(父は一年間中学浪人している)のことを「じゅんにい」(父の名は順市)と呼んでくれて、ワシは「しゅくちゃん」と呼んでいた。
ワシは毎日、陸上の練習が終わったら三島から上分町まで(約5キロ)走って帰って、すぐに家業の手伝いを遅くまでして、さあ宿題しようと思っても眠たくてつい寝てしまってなあ、結局、宿題せんまま学校へ行くわけよ。
そんな時、しゅくちゃんによく宿題を写させてもらった。嫌な顔ひとつせんと気持ちよく写させてくれたのう。
ある時、なんとはなしに、しゅくちゃんにこんな事を聞いたことがあるんじゃ。 (しゅくちゃんはホンマに頭、ええのう。休み時間もいつも勉強しよるし、勉強ってそんなに面白いもんかいのう?) そしたらしゅくちゃんは (順兄よ、勉強好きな奴なんかおらんわ!ワシは新宮の山の中から三島に下宿までさせてもらって三島中学に行かせてもらっとる。勉強せんと家の者に申し訳ない。どうせするんなら皆に負けとうはない。皆が三時間するならワシは六時間する。皆が五時間するならワシは十時間する。みんなの倍、勉強するんじゃ!)とな。 下宿屋のおばさんが(淑郎君が寝てるのを見たことがない。いつ寝よるんじゃろうか?)と言よったと言う話は本当なんだと思うたよ。彼は努力の人なんよ。その結果が九〇歳で貰ったノーベル賞なんだと思うのう。 (人の倍せんといかん)という言葉が印象に残っとるのう。」
彼のことを話す父の顔はなんだか嬉しそうでした。
私 「でもなあ、真鍋さんは人の倍以上、勉強して東大に行って、結果、ノーベル賞まで貰ったけど、普通の人はなかなかそうはいかん。やっぱり、もともと、頭がええんだろうね」
父 「お前が勉強して、勉強して、人の倍、勉強してもしも東大に行ってたら、今頃はこの町にはおらんだろうな。 そしてこんなにしょっちゅう実家にも来れんだろうし、 このくらいが一番ええんよ!あんまり賢すぎたら、親から離れて行く。 地元の薬屋で上等!」
隣で聞いていた母も、一緒に大きくうなづきながらみんなで大笑いしました。
私のほどほどの二人の息子も 私たち夫婦のそばに住んでくれ、可愛い孫たちにもしょっちゅう会うことができます!
上等!上等!
ヒロシでした
【お元気さんつうしん200回記念】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 HSP
2021年12月15日
こんにちは!
寒くなり、コタツの温もりがありがたい季節になりましたね。
今回は鈴木薬局のお客様に発行している『お元気さんつうしん」が200号を迎えまして、その内容をお伝えしたいと思います。
いろんなお客様に読んでいただいて「読むの楽しみにしてるんよ」とありがたいお言葉をいただくこともあります。
第1回目の発行は、平成16年11月9日でした。「お元気さんつうしん」ではなく「鈴木薬局通信」という名前でした。硬いな〜!第1回の記事は、健康教室のお知らせがメインで、あとは自然薬の飲み方と体験談だけの、ちょっとさみしいものでした。
それもそのはず、妻が1人で記事を書き、パソコンを独学で勉強して、なんとか作り上げたものでした。 今から思えばよくやった!と思います。
当時は、長男が松山の美容室で修行中。
次男の健は、福岡の大学に入学したばかり。
私達の両親たち4人も、皆70代で元気いっぱいでした。
そんなわけで薬局には私たち夫婦2人だけ。 というまさに2回目の新婚時代の始まりという状況でした。 妻にとっては「子育ては終わった!私の責任は果たしたよ。あとは好きなように生きていくからね!」という開放感に満たされた気持ちだったのかもしれません。
健が大学に行ってから、今まで参加したくてもできなかった研修会や勉強会に、積極的に一人ででも参加するようになりました。
私が参加していた漢方の勉強会ではなく、主に生理学や栄養学の勉強会です。
もともと私よりは社交的ですから、各研修会ではすぐに友達ができて、友達ができると楽しいからその友達の輪に入っていく、そんな具合に新しい世界を広げて行きました。
そして気のあった仲間と、自分たちで自主的に勉強会までやり始めました。
元教師だったこともあって学ぶのが好きなんでしょうね、きっと。
当時、漢方の世界にどっぷりだった私も、妻に影響されて新しい世界に引き込まれて行きました。 今まで学んでこなかった最新の生化学や生理学・栄養学は、とても楽しくてしかたありませんでした。
1日中、子供のことは気にしないで、薬局のことと新しい学びのことだけを考えていればいいわけですから、とても充実した毎日だったと思います。夫婦一緒によく学び、よく研修旅行に行ったのもこの頃でした。
今から思えば、同じ場所で同じことを学び、志を同じくする友人たちと、時間を忘れて語り合う。なんと最高の贅沢だったのか!と思います。
当時、そんな新しいことを学ぶ中で
「せっかく学んだのなら、そのことをお客さんにもお伝えしたら?」
ということになり、健康教室をしたり、そして、そこに参加したくてもできなかった方達には、文にまとめてお伝えしたらいいのでは…ということで始めたのが「お元気さんつうしん」でした。
その内容は
①商品を売るためだけの広告は載せないようにしよう!
②ホンモノの健康情報をお知らせしよう!
③自己開示して自分たちの事をもっと知ってもらおう!
④お客様に体験談を書いてもらって悩んでいる人たちを勇気付けよう!
この4つを方針に作り始めました。
今月で200号! よく続いたなあ…と思います。
編集長の妻に感謝! そして毎月原稿を寄せてくださっている歴代のクロレラ工業と渡辺オイスターの担当社員さんたちにも感謝!
これからも、あまり堅苦しくなく、やわらか〜いつうしんになりますように、発行していきます。 月一回、どうぞ末長くお付き合いいただければ幸いです。
今でも毎月毎月、何を書こうかと悩んでいるヒロシでした。