健康コラム COLUMN

【私の薬屋人生のターニングポイント】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 パニック ストレス 自律神経 HSP

2024年11月18日

8月末に、健が主催しているネットの番組にゲストとして出演しました。

テーマは 「教えてヒロシ先生、 薬屋四十六年の歴史」。

インタビュアーとして、クロレラ工業の 検崎君も出演してくれたのですが、

彼が とても上手に聞き出 してくれるのでつい つい喋りすぎて八十 も話してしまいました。

私の薬屋人生は、三人の親族・家族の病気との出会いがターニングポイントとなっています。

 

①次男・健の喘息

②母の癌(胃がん・乳がん・肺がん・膵臓がん)

③叔母の自律神経失調症(パニック障害)

 

①と②は、ほとんどの方がご存知だと思いますが③のおばさんの話は知らない人がほとんどだと思います。

今回は、なぜ私が薬屋を開店した当時から「自律神経失調症」という「気の病」に取り組んでいるのか、

そのきっかけになった叔母さんのお話をしたいと思います。

 

日本舞踊の師匠をしていたおばさんは、私が中学生の頃に四国中央市から西明石市にお嫁に行きました。

嫁ぎ先は、親戚も友人も知り合いが誰もいない全く見知らぬ土地です。さぞ心細かったことでしょう。

小さなアパートで朝、ご主人を送り出した後は 赤ちゃんと二人だけという生活です。

 

たくさんのお弟子さん達に囲まれて尊敬されていた華やかな毎日とは全く違った環境。

そんな中で、ある日突然、息ができなくなり、目の前が真っ暗になり、気を失って倒れてしまいました。

どれくらい時間が過ぎたのか分からず・・・気がついた時に自分で救急車を呼び病院へ。

 

いろんな検査をしましたが全て異常なしでした。

そして医師からの診断名は「自律神経失調症」でした。

おばさんは、うまれて初めて聞く難しそうな病名に不安で不安でたまらなかったそうです。

まだまだこの病名が知られてなく、医者からのわかりやすい説明などなかった時代です。

「また倒れたらどうしよう!私が気を失っている間に、まだ幼い我が子に何か起こったら・・・」

考えれば考えるほど不安は雪だるまのように大きくなって いきまし た。

 

この不安感が脳の中の扁桃体という所を刺激して海馬という部分に記憶されます。

そしてちょっとした刺激(ストレス)でパニックを誘発。 これを繰り 返すのです。

その頃、祖母は娘のこんな様子を心配して、たびたび西明石に行っていました。

一度行くと必ず一ヶ月以上 滞在していました。祖母が行っている間は、ウソのように元気な状態が続きます。

母親がすぐ近くに居るという安心感が発症を抑えていたと思います。

 

まさに「気の病」です。  私もその頃は大阪の大学に行っていたので、よくおばさんの家に遊びに行っていました。

当時はまだこの病気の真っ只中。私が薬学生ということもあって、おばは自分の病状や薬についていろいろと質問してきました。

学生ですからまだまだ勉強不足です。ただただ話をよく聞いてあげるだけしかできません。

でもこの、聞いてあげた事が良かったと思います。

私が行くととても喜んでくれて美味しい料理を腹いっぱい食べさせてくれました。

周りには知り合いもなくてひとりぼっちで子育てをする不安もたくさんあったでしょう。

これから先のことを考えると心細かったでしょう。経験してない者には想像もできない思いがあったかもしれません。

 

本音で話せる友人が身近にいれば、愚痴や不安を口に出せたのに・・・。

「また気を失って倒れたらどうしよう」 という「不安感」が大きなストレスとなって交感神経のスイッチを入れっぱなしにして、パニック発作を起こす、まさに「パニック障害」です。辛かったと 思います。

 

ところが・・・ この長年、おばさんを苦しめていたパニック障害は、思わぬ出来事から治ることになります。人生は、何が起こるかわからないものです。

 

そして、そんなおばさんの人生を身内としてずっと聴いていた私は、自律神経失調症を治すヒントに気がつくのでした。

次号につづく ・・・

ヒロシでした