【本は知識を増やすより染み込まずものだったのか】愛媛 香川 四国中央市 新居浜 西条 自然薬 漢方薬 漢方 生理痛 更年期 ストレス 自律神経 読書
2024年10月30日
僕にとっての読書って勉強なんですよ。
知識を増やすための方法の一つが読書なんですね。
講演会もかなりいろんな人の講演を聞きにいきましたけど、考え方、ものの見方、捉え方、伝え方、とか諸々を吸収するための勉強だと思ってるんです。
読書って知識を増やすための方法だったんですけど、どうやらそうでもないかもしれない。。。って言うことに最近気づきまして。
こんなことをお話しすると、当たり前やんけ!って思われる方の方が多いと思うんです。
でも僕の中では結構大きな気づきで腹落ちしたことなんで綴ってみます。
僕が本を読むようになったのは仕事をし始めてからなので、22歳からなんですね。
それまでは本当に1冊も読んでないぐらい本読むの嫌いだったんです。家には本が山のようにありましたよ。
父が医学健康関係の本をめちゃくちゃ読んでて倉庫の壁一面本だらけで、入りきらないから古本屋さんに引き取りに来てもらったりして、またいっぱいになって、みたいなのを繰り返してたのを覚えてます。
だから本に囲まれて暮らしてはいたようなんですけど、
どんな本があったのか?
何を読んでたのか?
全く知りません。一ミリも興味がなかったからでしょうね。
で、仕事をし始めて読むようになった本は、自己啓発系の本か、健康関係の本。あとは月曜にお話しした喜多川泰さんの小説。って感じです。
あと、歴史上の偉人の本とかもちょこちょこ読んでましたけど、自己啓発絡みって感じでしたね。
だから、僕にとっての読書はずっと知識を増やすものなんですよ。勉強するもの。だから忘れたら終了。覚えてないと意味がない。みたいな。
芥川賞を取ったり直木賞を取ったりする本とか、いわゆる昔の名著と呼ばれる本たちに全く触れてきてないから余計そう思ってたんでしょうね。
知識系の本ばっかりだったから余計なんだと思います。
それがね、読書歴16年。やっとですよ。読書って知識だけじゃないかも?って思い出したんですよ。
僕は記憶のキャパが少ないので読んでも忘れるんですよ。
だから読んだ本はメモを残してるんですね。大事なところを。
じゃないとマジで忘れるから。これもだから読んでも読んでも忘れていくしな・・・と思ってたんです。
でも、最近思うんですけど、本として本だものは記憶から忘れてても自分の脳内の記憶の奥の方に染み込んでるんだなぁと思うんです。
その本のことは完全には覚えてなくても、その本を読んで共感した部分、なるほど!と思った部分みたいなのが残ってて、それが忘れてるんじゃなくて、ごくごく当たり前のように自分の思考のように時たま出てくる時を感じるんですよ最近。
意図的にこの本に書いてたな。とかこれに共感してね。とかじゃなくて、自分のもののようにスルーっと出てくるんですよね。
作家の喜多川泰さんの本に影響を受けまくった僕が何の意識もなく授業をしたら、半年後に本物の喜多川泰さんの授業を聞いた生徒が「鈴木薬局の人と同じことを言ってた」みたいなもそうですよね。
なので、本を読むって感覚的に、脳内に知識として積み上げていく。と言う側面と、
感情とか思想的なものは染み込ませていく側面と両方あるんだなぁと実感てるんです最近。
オンラインセミナーで禅を取り上げたり、サイコパスを取り上げたり、鈍感力を取り上げたり、僕が気になってるテーマを深掘りするたびに染み込んでる感じしますもんね。詳細はどんどん記憶から落ちていっても思考思想の根底にはしっかり根付いてると言うか、染み込んでる感じするんですよね。
アメリカの大統領だったルーズベルト大統領が
私は、自分がこれまでに読んだあらゆるものの一部である。
っていう言葉を残してるんですけど、なるほど!って最近思います。
あとね、僕が大好きな日本の偉人。吉田松陰先生もとにかく本読んで勉強しろ!って言ってるんですけど、松下村塾に行った時に掛け軸の横に木に長ったらしい言葉が書かれてて、何あれ?と思って聞いてから、めちゃくちゃ素直にその言葉を手帳に書き残して、指針の一つにしてるんですけど、
万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。
一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。
って書いてるんですね。
たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。
わかりました!先生!って感じです。
これからもしっかりとインプットをして染み込ませて知識も入れつつ、知識だけでなく染み込ませて自分のものにしていきたいと思います。